| 【Temjin.biz】運営者プロフィール | |
| ここでは、事業責任者である私、橋本哲人(はしもとあきひと)についてお話させて頂きます。 特に一流大学卒業であるとか、若い時に凄い財産を築いた…といった、読んでいてスカッとするようなエピソードも無いので、ちょっと退屈かもしれませんが…「この人、どんな人なんだろう?」と思われたら、このページをご覧頂けますと嬉しく思います。 これは、私からあなたへの自己紹介です。 あなたも私に自己紹介頂けるようでしたら、お気軽に「お問い合わせ」のページから、ご連絡くださいね!ゆっくりお待ちしています。
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| 私(橋本哲人)のおいたち | |
| 昭和48年の2月に、新潟県新潟市(旧:豊栄市)に生まれ、ここで18歳になるまで育ちました。 地元の地主から分家した父を持ち、同世代の中では厳しく…やや旧世代的な一面もありましたが…躾けられた方だと思います。 (それでこの有さまでは、ちょっとお恥ずかしいですが) 何も不自由せず育ちましたが、ハッキリ言って、学校の成績は良くも悪くも無く…と言ったところでした。 真面目で大人の言うことは何でも良く聞く、大人しい子供でしたが、大人びていたところもあり、あんまり友達と仲良くできませんでした…と言いますか、「いじめられっこ」の部類に属します。 |
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| 学生時代と社会人生活のスタート | |
| 近隣の新発田市にある普通科の高校を卒業し、18歳で京都府の大学経済学部に入学しました。 新潟とは全く違う風土(なにしろ、話す言葉から違う!)や各所に点在する歴史遺物の数々、そして、「誰も自分の過去を知らない!」という自由な開放感…全てが刺激的で、また、アルバイトに精を出しすぎたために、ちょっと卒業が危ぶまれましたが…なんとか、キッチリ四年で卒業できました。 こうして関西で「学生生活」という青春の黄金時代を過ごしたため、いまでも関西方面への出張のお話を頂けると、すごい勢いで飛び付いてしまいます; 大学を卒業すると、既に国家公務員試験に合格してたので、厚生労働省(旧:厚生省)の事務官として公務にあたりました。 後に配属先の新潟県中越地区の国立療養所が民間企業に委譲されるまでの六年間を、国家公務員として過ごしました。 その間、24の時に結婚、25の時に長男誕生…と、個人的にも大きな出来事が沢山ありました。 |
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| 民間企業転職と苦い経験 | |
| 28の時に、配属先の国立療養所が民間委譲となり、家族を各地に連れ回しての転勤生活も嫌だ…また、民間では役に立たない独特の仕事ばかりの国家公務員では、将来公務員削減が推進された際に、旧国鉄の皆さんのように苦労するかもしれない…ということで、国家公務員を退官します。 (この頃、長女が誕生しました) 色々と考えたのですが、結局、妻の故郷である新潟県加茂市に移住し、近隣の三条市の企業(パソコン教室)に転職することに決定しました。 ところが…転職先の企業で「給与の遅配」「社会保険に加入していない」などが問題となりました…やはり、国家公務員時代とのギャップが大きすぎて、私も妻も「民間とは、こんなものだ」という心の準備が足りなかったのだと思います。 そこで、「精一杯頑張って結果を出し、それでも改善されなかったら辞めよう」ということになり、私なりに精一杯頑張って助成金と絡めた団体研修などを企画し、企画・営業・研修メニューの作成・実際の講師…と、全てを「やれるだけ」やってみて、かなりの売上に貢献できたはずなのですが…結局、殆ど環境の改善は無く、なかなかやりがいもあって面白い会社だったのですが、止む無く他社へと転職しました。 再転職した企業は、同じく近隣の三条市にあるシステム開発会社でした。 …が、ここでは更に過酷な「給与不払い」という現実が潜んでおり、結局、私が社長を説得して会社を解散させる形で、私は「失業」しました。 |
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| 開業に至る道のり | |
| その後、他の「給与不払い」被害に遭っていた社員達を代表して、労働基準監督署に「給与立替払い」の申請を行ったりしながら就職活動を行いましたが…おりしも「平成大不況」の真っ只中で、「元国家公務員」という扱いづらい社員を優遇できるほど余裕のある企業からの求人は、見つかりませんでした。 いつも面接まではすんなりOKなのですが、必ず「なんで国家公務員を辞めたのかね?」という質問になってしまい、「いえ、ですから、転勤が嫌で…」などと話してみたところで「そんなことで富と名誉を捨てるバカがいるかい!?」…というお決まりのパターンに終始してしまい、結局、30社ちょっとを当たったところで、私自身の気力が失せてきました。 就職活動と並行して、新潟県内にクリエイターの企業組合を立ち上げる計画の発起人としても活動していたのですが、こちらも結局は私が至らずに空中分解してしまい…もはや八方塞がりに思えた時、親しくしていたシステム会社さん(実は、会社を解散させた時、一番若かった社員を採用してもらえるよう、この会社に頼み、採用して頂いた経緯がありました)から、「デバック要員が欲しいので、人材派遣業をやってみないか?」との有り難いお声がかかり、この話に飛びつく形で 「どこにも就職できないなら、自営業をやろう!」 という結論に至りました。 |
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| 最初から失敗した「開業」 | |
| 私は、自分が持っている人脈をフルに駆使してなんとか要求を満たす「デバック要員」の皆さんを集めることに成功し、システム会社さんとの集団面接でも「全員合格!素晴らしい!」の評価を頂きました。 「これで、生活も楽になるぞ!」…既に国家公務員時代の貯蓄や退職金も減り始めていた私は、これからスタートする新しい事業生活に、まさに胸を躍らせ、期待を募らせていました。 …ところが、何の前触れも無く、システム会社さんより 「デバック要員は、必要がなくなりました」 との連絡が…まさに、天国から地獄の瞬間でした。 私は人材集めを手伝ってくれた方々や集まってくださった皆さんに一件一件事情を説明して謝りましたが、もはや失われた信頼は戻りません。 仕方無く、八方塞がりの状況のまま、私は2002年2月4日に個人事業「テムジン」を創業しました。 |
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| 殆ど売上ゼロの一年半 | |
| 「ホームページ制作事業者」としてスタートしたテムジンですが…官僚くずれでWEBデザインの基礎的な心得も無い私が、専門知識を習得した「プロ」の皆さんに太刀打ちできる訳がありません。 当時流行った、お客さんを挑発するような「マーケティング」も真似てみた時期がありましたが、元が無い状態で小手先のマーケティングを使ってみたところで、成果が上がろうはずも無く、いたずらに「売上ゼロ」の日々が続きました。 それでも、屋号を現在の「Temjin.biz」に変え、「コンセプト」の重要性に気付きはじめてきた頃から、「ホームページ制作コミコミパッケージ」など「コンセプト勝負」の企画で、少しづつではありますが、売上が発生しはじめました。 …でも、話で良く聞く貧乏話も、いざ自分が経験してみると、本当に惨め極まりないものです。 ポケットの中に紙幣が入っていることなど「稀」で、一本120円の缶コーヒーを自動販売機で購入すること自体が「ものすごい贅沢」でした。 当然、家庭内の空気は冷え込みます。 長女はまだ幼かったので当時の記憶も無く、ごく普通の生活しか知りませんが、長男は家の中の嫌な空気やひもじい思いをした経験など、今でも記憶にあると思います。 まさに、お金が無いと、心も貧しく、冷え込みがちです…。 |
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| 冬の時代の終わりから、今日まで。 | |
| 2003年7月に、私は貧しい暮らしに終止符を打つため、再度就職活動を行うことを決意しました。 「今度は、例え100社断られてもめげないぞ!」…一度どん底まで経験すれば、人間、少しは強く逞しくなるものです。 しかし私は、自営業者としての最後の挑戦として、これまで少しづつ気付いてきた独自の「コンセプト理論」を元に、新たな商品を発表して、皆さまに是非を問うてみたい…そう、考えました。 こうして企画・制作・販売させて頂いたのが、オリジナル・レポート・キット第一弾となる「収入革命キット」でした。 「売れる・売れない」…そんなことは少しも考えず、ただただ、「自営業者としての卒業記念作品」のように…いままで自分がやってきたことの「答えあわせ」のような気持ちで、純粋に制作にあたりました。 「収入革命キット」発売日は、ちょうど土曜日になりました。 もはや民間企業…特に、景気の冷え込みの激しいこの地域での現状は既に十分理解していましたので、就職すれば土日もサービス出勤覚悟です。 だから、「就職したら、子供たちを遊びに連れていってあげられないだろう」と考えた私は、その日、家族みんなで県内のテーマパークまでドライブに出かけることにしました。 ところが…お陰さまで、これが本当に沢山の皆さまにお求め頂くことができ、短期間のうちにどんどんお金が入ってきました! その後、「全自動ゼロコスト集客法」「じぶんアフィリエイト顧客獲得法」「e-book情報商材 製造・販売法」「資金・商材ゼロからの自社アフィリエイト構築法」…と、お陰さまで皆さまにご好評頂ける商品を手がけることができ、平穏で牧歌的な今日を迎えています。 ■「騙してまで商品を売らない、恥じる商売をしない」 ■「お金は絶対に借りない、貸さない」 ■「常にゼロだった頃の目線で開発にあたる」 独自の思想やメソッド、哲学とともに、上記のような自身の苦く苦しい経験に基づき、今後もさまざまな商品・サービスのご提案に努めて参りたいと思います。 |
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